ゆずり葉の歩み

設計作品

受賞暦

お問い合わせ

トップページ > ゆずり葉の歩みトップ > 掲載情報(各誌)

ゆずり葉の歩み

弊社・徳岡浩二のインタビュー記事が大和リース株式会社様のKNOW HOW BOOKに掲載されました。

弊社代表取締役・徳岡浩二が大和リース株式会社様のインタビューを受け、KNOW HOW BOOKに記事が掲載されました。

徳岡浩二 インタビュー 大和リース 公共施設 まちづくり 建築家 ミャンマー

徳岡浩二 インタビュー記事

~ デザインと技術の両立で高い次元の建築設計を ~

建築設計に際して私がまず考えるのは、「その場所に存在すべきかどうか」。存在すべきとの結論が出た場合は、次に「どう存在すべきか」を深慮していきます。それは思いつきや流行ではなく、計画学的な数値や比較分析に基づいて計画を進めることであり、常に「なぜ?」と問いかけて納得するまで考えを突き詰めること。解答が出ないまま仕事を進めても、次に応用することはできません。「なぜ?」を突き詰めるには体力も熱意も必要ですが、建築設計において最も重要なプロセスだと考えています。

建築物はしばしば、デザイン面において彫刻と比較されます。機能が要求される建築物にはデザインの制約があるため、妥協がない彫刻とは根本的に異なります。機能が求められるからこそ、建築物としての存在価値があると言えるのではないでしょうか。建築家はデザインを重視するのか、技術を重視するのかといった議論がありますが、デザインと技術は分けて考えるものではありません。両立して初めて建築物は存在し得るのです。例えばモダンなガラス張りのビルも、道路を行き来するドライバーの目を眩ませては失敗です。シンボリックなタワーも、景観を阻害するデザインでは意味がありません。

デザインに自信があるなら技術力のある人とコラボレートする、プロデュース機能に特化するならスペシャリストを引き入れてプロジェクト全体を統括するなど、建築家は各々の技術や経験、プロジェクトの特性によって柔軟に対応する姿勢が必須です。海外ではかなり前からこの発想が浸透しており、日本は立ち遅れていると言わざるを得ません。施主の要望はさまざまで、しかも要求水準が高まっている昨今、高い次元でベストアンサーを提示することがプロとしての役割です。施主の要望を充たすことはもちろん、より良い建築物をつくるため、まずは建築家が発想を変える必要に迫られているのではないでしょうか。

~ 施主と建築家が同じ目標に向かうことが建築物を成功させる鍵 ~

もう1つ忘れてはならないのは、施主とともにつくり上げる熱い思いと姿勢です。施主と建築家が同じベクトルを有していることが、より良いものづくりの基本。そのためには、まず施主からニーズをもれなく聞き取る必要があります。建築は「対話の技術」と言われるほど、「なぜ?」を突き詰める対話力が求められます。「こんな雰囲気にしたい」「以前の建物はなんとなく使いにくかった」など、曖昧な表現しか引き出せないときは、気候や風土、周辺環境、使用者の声など、さまざまな客観的事象から隠れたニーズを汲み取ることが大切です。

徳岡設計は公共建築物を多く手掛けていますが、できる限り施主である自治体のトップから話を聞くようにしています。例えば市長から聞き取る場合、その後ろには市民の声があります。施主はその空間を利用する全市民だとの意識を持ち、市長の話に耳を傾ければ本当につくりたいものが見えてくるというのが実感です。例えば、和歌山県有田市や福井県越前市では、「まちの特色を全面に出しつつ、しかも市民が集いやすい施設をつくりたい」という要望があり、県産材等を用いた物を必要に応じて補いながら計画しました。有田市では、市民ホールと図書館を一体化し、越前市では行政と商工産業拠点に観光と交流、生涯学習機能をつなぐ複合施設を再編成しました。また福岡県朝倉市では、黒田家の居城であった秋月城跡に「歴史と文化を後世に伝え、展示物と来館者を守る博物館をつくりたい」との話だったので、かつて存在した稽古場の配棟や石垣を再現。集客に資する施設としながらも、内部免震で安全性を高めました。いずれも地域活性化に寄与する、やりがいのある仕事と言えます。

~ ミャンマーの都市計画に参加 PFを国内にも積極導入を ~

日本の都市づくりは、欧米に比べて計画性の点で劣ると感じています。2030年には戸建ての30%程度が空き家になるといわれる今、どんなまちにしたいのか、どんなまちに暮らしたいのか、考え直す時期に来ているのではないでしょうか。そんな思いを巡らせている中、海外においていちからまちづくりに参画するチャンスに恵まれました。2011年に民政化がスタートしたミャンマーの都市開発です。ミャンマーは実質経済成長率がアジアでトップ。親日国であり文化や歴史にも魅力を感じていました。国際貢献の絶好の機会になることも、未知のプロジェクトに挑んだ大きな理由です。徳岡設計は、民間の資金や技術を活用して公共施設などを建設するPFI(Private Finance Initiative)によるプロジェクトをお手伝いすることになり、2013年2月にはヤンゴン市に現地法人を設立。現地では建築設計だけでなく、都市のゾーニングから資金調達方法の提案、インフラの整備計画、公共施設やサービスオフィスなどの建築計画まで、プロジェクトを統括する立場で仕事を進めています。現地のスタッフも採用し、日本のオフィスで建築の知識と技術を学んでもらっているところです。現在は都市再編成計画に伴い、進行中だった施設建設をいったん休止しており、徐々に計画が実行に移されていく予定です。事業としてはまだまだこれからですが、ミャンマーは今後拡大する期待の市場です。国土レベルの大きなプロジェクトにやりがいを感じるとともに、現地に貢献できるよう努力を怠らないつもりです。

海外でのチャレンジのおかげで、PFIを活用するメリットも見えてきました。地方の自治体には、建築設計に精通したスペシャリストが非常に少ない。ここ何年も建築物をつくっていないため、現場を見る機会もほとんどないのです。PFIで民間活力を導入すれば、環境対応や耐震設計、施設管理などに至るまで、さまざまなアプローチでコストを抑えながら要望に応えることが可能です。インフラ整備を中心とした「街づくり」とは異なり、住民の心を満たし、まちが大切にしているものを守ることが、これからの社会に求められる「まちづくり」ではないでしょうか。        徳岡 浩二

page_top

日事連に碓井琴平文化館が掲載されました

2016.7.10号より抜粋
nichiziren11nichiziren21nichiziren31
碓井琴平文化館

~ 文化を軸にしたまちづくりの拠点施設 ~

平成8年(1996)に開館した碓井琴平文化会館は、炭鉱閉山をはじめとする地域課題を乗り越え、21世紀へ向けて文化を軸にした個性豊かなまちづくりの拠点として計画され、織田廣喜美術館のほか、古代から現代までの郷土資料を展示する碓井郷土館、戦争資料や社会活動家の資料を展示する平和祈念館、そして町民への情報提供拠点となる図書館の4施設により構成されています。

~ 土地の起伏を活かした施設間の連携 ~

美術館と碓井郷土館は、来館者の興味と想像力を掻き立てる風情あるアプローチをとり、平和祈念館と図書館は、気軽に立ち寄りやすいよう前面道路側とし、3~5mある敷地の高低差を利用して1階(道路レベル)に図書館、2階(公園レベル)に平和祈念館を配置しました。
美術館と郷土館は、さまざまな目的に利用される中央のエントランス・ホールをそれぞれのアイデンティティを失うことなく共有し、放射状の開口部と中央にドーム状のアトリウムをもつ図書館は、情報発信を担う公共図書館にふさわしい開かれた施設となっています。2階にある平和祈念館からは、階下の図書館全体が見渡せ、両施設の効果的連結が、学習目的に応じた豊富な情報の提供に役立っています。この建物は防災と利便性を考慮したブリッジで設置され‘‘平和の灯”と名付けられた彫刻とともに施設の特徴あるイメージを創出しています。
敷地は炭鉱跡地のボタ山、窪地を埋め立てた造成地で、セイタカアワダチソウの原っぱでしたが、設計前に一株の笹が自生しているのを目にしました。そこで造園主木を孟宗竹とし、根締めを熊笹、おかめ笹としました。酸性土壌に強い竹類はよく育って、今では見違えるような緑の公園になっています。

~ 織田画伯を象徴した青海波模様 ~

嘉麻市出身の織田画伯は、日本芸術院会員二科会名誉理事長を務めた洋画家です。その作品を常設展示する美術館では、初期から晩年までに至るまでの洋風の変遷を生涯にわたって展示しており、叙情的で優美な作品の魅力をさまざまな角度からご覧いただけ、どこよりも画伯の芸術活動を体験することができます。
代表シリーズである「少女」を一同に展示した空間や、紫外線をカットした自然光を活用した明るい展示には、愛妻リラが縫い合わせたキャンパスに描かれた、夫婦の共作とも言える「賛歌」など二科展への出品作を鑑賞することができます。
織田画伯の川渡り神幸祭の絵を見たとき、華やかで日本的なフィーリングを感じ、それがデザインのベースとなっています。近くに石灰の産地もあるので、外装には漆喰と天然スレートを採用しました。屋根と漆喰の朱・白の建築的アンサンブルが木々の緑に包まれ、生き生きとした心豊かな生活を演出することを意図しています。
漆喰壁には織田画伯の生命力あふれる芸術性、自由な作風と包容力のある人柄を象徴して青海波模様としました。ステンレス目地棒で描かれた直径を1.2mとし、コンクリートの収縮クラック誘発目的と漆喰塗りの工程に配慮しています。

~ 市民の文化活動の場として ~

美術館には、貸しギャラリーとしても利用できる「企画展示室」、各種講座や美術愛好家の活動の場としての「市民アトリエ」、くつろぎの空間「サロン」を設け、市民の芸術活動全般を支援する施設としています。
落成から20年を迎える本年、企画展示室では8/6(土)~9/4(日)までの期間、美術館の設計者である「建築家 徳岡昌克展」が開催されることとなっています。美術館が生まれるまでの過程と設計への取り組みをはじめ、素材と建築をテーマに風土とデザインのあり方を作品を通じ問いかける内容となっています。筑豊にお立ち寄りの際にはぜひ足をお運びいただければ幸いです。

page_top

『日経アーキテクチュア2016.4.14号』に徳岡浩二インタビュー記事が掲載されました

日経アーキテクチュア2016.4.14号より抜粋

日経アーキテクチュア2016.4.14号

日経アーキテクチュア2016.4.14号

徳岡浩二インタビュー記事①

徳岡浩二インタビュー記事①

徳岡浩二インタビュー記事②

徳岡浩二インタビュー記事②

~ 成長力重視してミャンマーへ ~

滞在的な経済成長力や親日度を重視する設計事務所もある。徳岡設計(大阪市)は2013年2月にミャンマーのヤンゴン市に現地法人を設立。都市開発プロジェクトのコンサルティング業務などを手掛けている。
同社の徳岡浩二社長がミャンマーに着目したのには、2つの理由がある。1つは経済成長率の高さだ。実質GDPでみた2014年の経済成長率は8.47%で、アジア諸国で首位に立つ。もう1つの理由は、ミャンマーが親日国であること。徳岡社長は、歴史や文化、価値観を共有できることが現地でビジネスを進めるうえで不可欠と考え、ミャンマーの歴史や文化を詳細に調べたうえで進出を決めた。
徳岡社長は、「現地で受託する仕事は、川上段階から関わるプロジェクトマネジメント業務が中心だ。資金調達方法の提案や施設のプログラムづくりを含め、事業を統括する立場で関わるようにしている。こうした形で実績を重ね、10年後には日本とミャンマーの売上比率を五分五分程度にしたい」と話す。

page_top

『日経アーキテクチュア2015.5.10号』徳岡浩二のインタビュ―記事が掲載されました

日経アーキテクチュア2015.5.10号より抜粋

20150510nikkei-archi11

日経アーキテクチュア2015.5.10号

20150510nikkei-archi22

徳岡浩二インタビュー記事①

徳岡浩二インタビュー②

徳岡浩二インタビュー②

~ 親の七光りでは10年もたない ~

偉大な父の影響を受け止めつつ、新しい事務所のかたちを模索する経営者は他にもいる。徳岡設計(大阪市)の二代目、徳岡浩二代表取締役社長だ。

事務所の創業は1983年。先代の徳岡昌克前社長が竹中工務店大阪本店から独立して徳岡昌克建築設計事務所を立ち上げたことに始まる。

徳岡前社長は現在、経営の一線からは身を引いて、会長として事務所を見守る立場となった。

徳岡社長は父が54歳で会社を突然辞めたときのことを覚えている。「当時は大学3年生。自分も建築家を志していたのですぐに事務所を手伝った。創業時代からの苦労はすべて見てきた」と言う。早くから事務所の経営を目の当たりにしてきたことは、徳岡社長の胸中に経営者の心構えを育てた。

社長の就任したのは98年。徳岡社長は37歳、前社長は68歳だった。早い時期での継承のようにもみえるが、徳岡社長は「設計事務所の権限移譲は早い方がいい」と断言する。

一つには、資金面の問題として、贈与税への対策を早めに立てておく必要があるからだ。経営者が60代、70代になって土地や金融資産、株式などを慌てて継承すれば、税金の支払いが膨らんで経営を圧迫する可能性がある。徳岡社長は30代の頃から徐々に事務所の株式を継承してきた。

「創業者が『まだ俺は仕事ができる』と言い張っても、事務所を存続する意思があるなら、継承は早めに段階的に進めなければならない」(徳岡社長)

もう一つの利点は、2代目が自身の経営スタイルを模索する余裕が生まれることだ。冒頭の丹下憲孝代表のように、2代目には父の影響から抜け出し、独自の路線に転換する試行錯誤が必要だ。徳岡社長は「先代から引き継いだ人脈で経営できるのはせいぜい10年。親の七光りでは1度目の仕事はもらえても、2度目には声がかからなくなる」と語る。

~ 街づくりに見いだした活路 ~

徳岡社長も若いころ苦しんだ。創業者である父のネームバリューが強く、自分のデザインが正当に評価されているのかわからなくなった。一方、父は徳岡社長が同じ道を歩むことを良しとしなかった。葛藤のなかで見つけた新しい領域が「街づくり」だった。

現在、徳岡設計は美術館や図書館などの建築物を拠点とした街並みのデザインを得意とする。90年代から関西や中部地方で都市コンサルティングを手掛けた。それが評判を呼んで、今や、中国や東南アジアの工業団地やリゾート開発を手掛けるまでになった。

徳岡社長が手ごたえを感じたという父の言葉がある。コンサルタントとしての報酬で収入を得始めた頃、父は「図面を描かないのに収益があるのだな」としみじみ語った。「アドバイザーとしてお金を稼ぐ手法は、図面を描いて事務所を運営していた父にとっては全く新しい経営に見えたのだろう」(徳岡社長)

事務所を引き継ぐ際に、いかに独自のカラーを出すか。「特色を示す努力が、これからの設計事務所の経営には欠かせない」と言う。設計の世界においても、事務所の経営統合が遠くない未来に盛り上がる可能性を感じているからだ。全国各地で、高齢となり後継者の不在に悩む事務所経営者が増えている。徳岡社長の元には事務所の継承に頭を悩ませる経営者の声が集まる。

しかし、きらりと光る得意分野のない事務所は、そもそもM&A(合併・買収)の対象として魅力はない。徳岡社長は「経営を引き継いでほしいという話が実際に来ている。だが、創業者のデザインセンスは退任とともに失われる。事務所を継承させるだけの強みを明確にすることが、これからの経営に求められている」と話す。

事務所を継承するタイミングこそ、大きな変革のチャンスだ。そして創業者が「まだまだ現役」と思い出した頃こそが、変革の可能性を最大化する時期となる。

page_top

『湖塘橋実験小学校』『東近江本庁舎新館』『かもしか荘』が建築人2014年7月号に掲載されました

e5908de7a7b0e69caae8a8ade5ae9a-14湖塘橋実験小学校

湖塘橋実験小学校は“百年の伝統を誇る小学校だからこそ、改革なくしては次の百年は築けない”という高い理念のもと改築された。未来を担う児童に、知育、体育、情操教育、更には徳育における最高水準の環境を提供するという目的を、中日友好を希求しつつ共有でき、様々な困難を協力して乗り越え、竣工に至ったことに対し、改めて関係者の皆様に敬意と感謝を捧げたい。

『東近江市本庁舎新館(増築棟)』

改修にあたり業務がスムーズに移行するよう先行して本館に増築棟を建設することとなった。旧庁舎のイメージを継承しつつ、市民サービスの主体となる新館としての正面性に配慮し、環境技術やメンテナンス性へも留意した施設としている。

かもしか荘

静かで落ち着いた自然の中の「甲賀の奥座敷」として、入浴、宴会、隣接する神社や集落などの歴史散策や、川の清流や里山の情緒が味わえる自然体験などが楽しめる宿泊施設で、子ども達からお年寄りまでが安心して利用でき、快適な時間を過すことのできる空間としている。

page_top
Copy Right (c) 2009 Tokuoka Masakatsu Architects.LTD All Right Reserved