トップページ > ゆずり葉の歩みトップ > コラム > 時代にあった教育の必要性について
時代にあった教育の必要性について
「教育とは生きる力を養う」ということと考えるが、毎年多くの人々が自ら命を絶つという現状を思うと、残念ながら戦後教育に問題があると言わざるを得ない。限界を克服し、困難に打ち勝つ能力に、なぜ衰退が起こったのであろうか。
家族社会、集団社会の我が国は、西欧と比較して自立年齢が遅い、また場合によっては一生自立せずに生きていける。大人になりきれていない若者とはニートに限ってのことではない。しかし一世帯当たりの人口は減少傾向にあり、西欧先進国のように二人を切るのも時間の問題であるから、教育に孤独への備えは必須である。良き友人や生きがいを見い出す能力は、経済や地位に左右されない青春時代にこそ身につけておきたい。情報化社会において知識を習得するのには在宅でも可能であるから、同世代の子どもたちが、集まって学びあう空間である学校の役割を活かし、交流、発表など、あらゆる機会を通じて友情を深め合い、自立心を高めさせるよう努めなければならないだろう。国際化の中で、日本社会はますます厳しくなる。東京では10組に1組が国際結婚ということから考えても、単純労働者を受け入れない我が国の保護政策が崩壊するのも近い。これからはヨーロッパ並みの「人種間競争を生き残る能力」が不可欠である。その上、今の子どもたちは高齢化社会という重荷を背負ってこの厳しい環境に立ち向かっていかねばならないのだ。
さらに訴訟社会が彼らの前途に追い討ちをかける。私達は過ちを犯した時に、素直に非を認め誤るのが正しいことだと教わってきたが、実社会でのそれは多額の賠償金へとつながってしまうのだ。このように絶えず変化する社会の中で、教育は常に対処を用意し、成長していかなければならないと思う。
「生きる力を養う」には教える側が限界を取り払うことが大切だろう。親や教師には、無限の可能性を秘めた子どもたちの成長を支える喜びを心に、情熱と人格をもって接しながら、困難に打ち勝つ術を伝えていく責任がある。教科書は達成すべき目標ではなく、奥の深い学問へのきっかけに過ぎないし、学力低下を時間のなさや経済的環境によるものとするのは教育の質を否定する言い訳に過ぎない。世界恐慌が戦争ではなく平和を実感させる、新たな時代の到来に、夢のある「公教育」の復活と変革の必要性を、改めて感じさせられる日々である。
大阪府教育大学付属池田小学校「はぐくみ」創立百周年記念号より





