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『日野市多摩平の森ふれあい館』が『JIA現代日本の建築家』に掲載されました

日野市多摩平の森ふれあい館 詳しくはこちら
コンセプト
都市公団(現、都市再生機構)多摩平団地立替地区内に計画された集会所と日野市の多摩平図書館・子ども家庭支援センター・ファミリーサポートセンター・児童館・交流センターからなる複合施設です。北側ファサードにモール、ラウンジ、喫茶室「カフェグリーン」等の共用部分が配され各施設利用者の交流を促し、ガラスのカーテンウォール越しに内部の活動がうかがえる構成としています。周辺は団地建設当初から住民が愛着を持って育んだ緑豊かな美しい街並みを形成していることから、本計画でも可能な限り既存樹木を残し、建物も緑に溶け込むよう配慮しました。
良き設計コンペの条件-審査員に利用者の視点を-
2006/06 No.1104 建築ジャーナル
建築家の本音-問題山積み。でも、可能性ある選定法-
コンペは文化的行為である。それは同じ敷地、同条件にもかかわらずすべて異なる多様な設計提案がなされていることによって、建築のひいては人類の可能性を広げるからだ。また、建築技術の進展や、設計事務所の業務能力の向上にもつながる。
だが現状では、問題点が多い。応募者、審査員ともに経済的支援に乏しいことがある。建築家が意欲的にコンペに参加するほど、その費用が事務所経営を圧迫する。また、審査員は十分な報酬がなければ審査に十分な時間をさくことができないばかりか、選定後に責任を持つことは困難だ。
建築家のみで構成される審査は、デザイン重視で使い勝手やコスト(ランニングコスト)が軽視される傾向がある。審査員には、永続的に利用者となる市民を必ず加えるべきだ。むしろ建築家は審査に加わらず、専門家としてテクニカルアドバイザーに徹すればいい。同じ立場では情がからむケースも多いからだ。
コンペは才能ある建築家を見出す機会となる。しかし、「若いだけの建築家」を採用する必要はない。市民は「若さ」ではなく、斬新で質の高いものを求めている。実績は安心要素の一つであり、重視されていい。しかし、コンペであるなら、所員数など量で選定すべきではない。あくまで提案の質で選定すべきだ。
良い建築は、地域の文化性を高める。そのまちに合った建築は少なく、まちなみは混乱している。この状況を改善したいといつも考えている。建築は一つの仕事に10数年かかることもあり、一生にできる件数は限られている。良き建築をつくる機会を得るために、私はこれからもコンペに挑戦し続けたい。

住まいづくりの現場から part.1
建築のことを話そう Get into Design !
徳岡浩二
とにかく、ものづくりは楽しい。子供のころ、図画工作の時間に夢中になって取り組んだ経験は誰でもお持ちでしょう。みんなが飽きてしまって、雑談や別の遊びを始めてもひとり黙々と作品づくりに没頭していた子供が、大人になっても同じような毎日を送っています-建築家として。寝てもさめても建築のことを考え、議論をすればむきになって自論を展開。かつて先生や親にほめられて得意満面だった顔には、苦労を物語るしわが刻まれていますが、その眼は確かに幼いころの輝きをそのまま持ち続けています。建築の仕事は趣味と実益の両方を兼ねられる数少ない仕事のひとつですが、それゆえにどうしてもモノづくりにこだわってしまう。それほど建築は楽しい。だからこそ競争相手も多く、厳しい。しかし、そんな中で仕事を得ることができ、自分のポリシーに共感を持っていただける方々と巡り会い、一緒に生きた証としての建築をこの世に遺していける-恵まれた環境にいるのが建築家なのです。
有意義な役割を与えてくれた社会に感謝の意味を込めて、美しいものを精一杯につくり、すべての人の幸せと夢を求めて日々取り組んでいます。「建築家は白鳥のようにあれ」と先人は教えました。優雅に水面に浮かんでいるように見えても、水面下では沈まぬよう、懸命に水をかいているのです。
世界でたったひとつの空間 Original Design
建築家は独自性にこだわります。形、システム、素材-建築家のデザインしたものにひとつとして同じものはありません。たとえ面積や間取りの構成が同じでも、作品にはひとつひとつ個性があります。敷地に合わせ、建築主の要望を採り入れ、そこへさらに建築家の哲学や感性が反映されて、それぞれが独自の魅力を醸し出しています。「人生いろいろ、建築主もいろいろ」。だから建築も個性があってこそ愉しいと思いませんか?
建築とは<存在>を問うことから始まり、そのあり方を考える哲学です。世界でたったひとりの自分という存在、縁あって巡り会ったクライアント。そして地球上のそこだけにしかない敷地-そう、人生の「出会い」を形に換え、空間に表現する仕事なのです。しかしどこにもないものを生み出すのは至難の業。「創造は神の手伝いをする神聖な仕事」といわれるのもその所以です。建築家が既製品を避けがちなのも肯けるでしょう。クロスよりもペンキ、シャンデリアよりもダウンライトなのです。
東洋における建築家の歴史が西洋に比べてまだまだ浅いのも事実です。メキシコの建築家リカルド・レゴレッタ氏いわく「日本に限らず、アジアの現代建築には残念ながら模倣的傾向が強い。だから雑誌を見るなと言いたい」。西欧の技術や思想に学び先進国の仲間入りを果たした日本、これからは自分で考え、歩いていかなくてはなりません。豊富な情報量と知識だけではアイデンティティー、つまり自分らしさは生まれない。これから家を建てる方々も、付箋だらけの雑誌を山のように積み上げるのではなく、ぜひ自分の言葉であなた自身の「生き方」を語ってください。きっと独自の空間が生まれるはずですから。
住まいづくりの現場から part.2
かたちへの希求 Design Image
徳岡浩二
「かたちが強い」―建築への評価はこの言葉に尽きるでしょう。もちろんその評価には使い勝手や快適性、耐久性などの観点もありますが、空間への思いは「かたち」に収歛されます。かたちは「心」を集約するメッセージなのです。法的な規制も含め、さまざまな社会的条件をクリアしながらつくられる建築のかたち。しかし誰にでも評価することができる「使い勝手」は難題です。どんな名建築も「使い勝手が悪い」と一刀両断にされてはかたなしですが、機能を欠いていてはつくる目的そのものに意味がありません。写真家の村井修氏いわく、「彫刻的な建築といっても建築は彫刻には及ばない、なぜなら建築には機能があるから」。確かに絵画や彫刻も、造形により感動をもたらす芸術ですが、機能と美を追求する建築には作り手と住まい手の「対話」が大切です。公共建築でも不特定多数の利用者や管理者の立場でそのあり方を考え、社会的弱者への思いやりを忘れてはなりません。また、建築づくりにとって最大の制約はコストでしょう。良い建築は金よりも知性と趣味を要求するといわれますが、プロとしての仕事に予算オーバーは禁物です。コストの厳しい時には「簡素な美しさ」を求め、「素肌美人」を目指します。そしてさまざまな困難を克服しながら、「対話の芸術」といわれる建築を「妥協の産物」に貶めてしまわないように、自らの信じた「かたち」を実現するために、絶え間ない検討と粘り強く説得を繰り返す「熱意」が不可欠なのです。
環境共生への課題 Sustainable Design
環境共生という言葉をよく耳にするようになりましたね。電力やガス会社、メーカーは競いあって「お得プランの提案」を持参してPRしますが、節約を心がけるのが一番お得なのは自明の理。エコロジーの提案を客観的に分析して総合的にコストの低減をはかり、長所と短所を分かり易く説明するのも建築家の仕事です。住宅の設計でも、「地球環境に優しい素材を採用しましょう!」と大それた提案をし、誰に頼まれることなく省エネルギー、省資源に配慮して、その家が廃棄される際の環境影響まで考えてしまうのは不思議な感じかもしれませんが、建築家にとってそれは使命なのです。人の生活に不可欠な建築は、創ることそのものが、自然との対立関係にあります。21世紀になっても石油を巡って世界には争いが絶えません。だからせめて悪影響を最小限に抑えることが持続可能な社会(職業)として必須の条件なのです。「庭にはたくさんの木を植えましょう!」という提案に、「落ち葉を掃除するのは私なのに…」と愚痴をこぼさないでくださいね。きっと四季の彩が、あなたの生活に潤いを添えてくれるに違いないのですから。
個人住宅4軒が「建築家カタログ2006-2007」に掲載されました
生活シーンをデザインする-住宅設計は住まい手の描くライフスタイルを空間に昇華させること。メーカーの企画や設計者の趣味を押し付けることではありません。環境を創出する技術を礎に、対話によって育まれる芸術派、そこにしかない一人ひとりの個性の形象となります。家族の健康と安全を守り、豊かな人生と夢を包む背景を手作りするプロセスは、きっと楽しく心に残るひと時となるでしょう。(徳岡浩二)

家は60年も100年も風雪に耐えていくものです。家は人を守り人を育て伝統や文化を継承し、明日を生きぬく力を与えてくれます。このような気持ちで家作りに精進したいと思っています。
(徳岡昌克)




