ゆずり葉の歩み

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中墨をとって左右に偏せず

img011中墨とは中心線のことで、大工さんが、工事現場で墨つぼと墨糸を使って材木に線を引くのを見たことがある方も多いかと思いますが、その真中の線のこ とです。最近はプレカット工法(あらかじめ工場で材木を決められた寸法に加工して現場搬入する方法)の普及もあって、まるでプラモデルのように、架構が組 み上げられ、さしがね(かな尺)などと同様に、あまり見かけなくなってしまいました。子供の頃、現場で墨糸がピンと張られ、軽子(墨糸の先端についた針の ついた持ち手)で固定された糸を、大工さんが弾いて墨を打つ様子を見るのが好きでした。その一瞬の緊張感は、周りの空気まで清めるようで、人の生命と財産を守る建築づくりを、神聖な行為に感じさせたものです。

「中墨をとって左右に偏せず」とは小野派一刀流に伝わる剣の教えで、剣先を相手の中心線から逸らさず、正中に打ち込む攻防の極意であり、同時に相手の変化 に対して動じない心を持つ大切さを教えています。残念なことに私は、小学校から剣道を学びながら、この言葉を知りませんでした、というより恐らくは、聞い ていながら心に留める素直さが、なかったのかもしれません。母校である北野高校の剣道部OB会のお世話をさせていただくようになり、元教員で大阪市立修道館長でもあった井上正孝先生からご教授いただいてからは、いつも心に留め稽古の折には後輩達に伝えています。先生はまた「剣の道は日常にあり」と説かれました。その日から道場は、社会が凝縮された修練の空間となり、勝つことを目的にした点取りスポーツが、日常を省みる心身のケーススタディーに変ったので す。人生には幾多の困難や苦悩があり、誘惑に迷わされることや、圧力がかかる時もあります。自分に降りかかるあらゆる攻撃技にも中墨をとって動ぜぬなら きっと充実した毎日を送れることでしょう。剣の道の本筋は道場だけに完結するものではなく、そこから出て生き方の本質を貫く、日々の生活の根底を支える哲学にも成り得ます。
また剣道には「恐、驚、疑、惑」という箴言、いましめの言葉がありますが、心の隙が、自らの手元を狂わせ、打たれた経験は、誰にでもあるでしょう。私は 今、建築設計の仕事に携わっています。多くの業務はコンペ(設計競技)プロポーザル(提案競技)によって獲得したものですが、指名を受けて計画策定に取り組む中で様々な迷いが生じます。審査員は公正だろうか、最初から当選者が決まってはいないだろうか、などの疑・惑が創作意欲を削ぎ、その心が協働者みんな に伝わって惰性が蔓延して提案をつまらないものにしてしまうことがあります。つまり戦う前から負けているのです。創作においても「中墨をとって左右に偏せ ず」は業務への取り組み姿勢だけでなく、提案の核心を見出す道標にもなっています。そして建築のあるべき姿やクライアントの求める真意を探り、空間へと昇 華させる創作の真髄にも通じています。運良く勝利して現在、山梨県警察学校本館、沖縄県警察学校射撃場のプロジェクトが進行中で、東京都新宿区の西早稲田中学では、公立学校において精神修練の場としての道場がまもなく完成します。どちらも剣道がご縁であり、考えの根底にあることは言うまでもありません。
徳岡浩二

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